ノーベル章を受賞したカズオイシグロ氏の、「わたしを離さないで」がよかったです。英語の原文が綺麗なのは勿論だとは思いますが、日本語の訳がすごく滑らかなんですよね。
イシグロ文学の代表作、「日の名残り」も読んでみました。「私を離さないで」と同じく、土屋政雄氏の翻訳です。
執事の目線で、20世紀前半のイギリスが回顧されていきます。
僕は浅学にして知らなかったのですが、執事って偉い役職なんですね。
名家の執事ともなると、事務や裏方のすべてを取り仕切り、女中とか下僕とか、かなりの人数を組織しています。カッコいい感じで紅茶を入れることがメインジョブの、ただのお手伝いさんなんだと思っていた。
途中まで、というか、ほぼ半分くらいまで、なにを伝えたいのか把握できなくて、雲を掴むような読み心地でした。
表現がぼんやりしているのです。深厚な描写に慣れていなくて、文章を消化しきれない。
とても素敵な本でしたが、恐らく僕は、魅力の一端しか味わえていないのだと思います。
たまには美しい小説を読まなきゃダメだと、強く感じました。
最近読んでいるのは、金融や投資関連ばかりです。こういう実務系の本は、結論があらかじめ提示され、説明とか根拠とかを読み込んでいきます。
以前は、推理小説も好きだったのですが、やはり犯人探しという目的を持って読み進めるため、本の構成としては似たものがありますね。
少なくとも、ふわふわした文章を、そのまま愛でるような読み方は必要ありません。
ひょっとしたら、僕は今までの人生で、読むという行為を楽しんでこなかったんじゃないだろうか。
これは、アカンで。
経験の幅は人間の深みにつながります。ましてや、楽しみ方の引き出しの多さは、幸せな人生に直結しますからね。
これからは、文章自体を慈しむようにします。
このブログでも、華美な修飾表現が、不必要に繰り出されるかもしれません。人生の味わいを深める試みに、お付き合いいただければ幸いです。
よろしければ、こちらもどうぞ。
カズオイシグロ氏の「わたしを離さないで」と「ある奴隷少女に起こった出来事」の読書記事です。