楽しく生きるためには目標が必要です。
なにも、夢を持とうだとか、人生でなにかを達成しようだとか、大それたことではありません。
向かっていく方向があった方がいいよね、ということです。
そうでなければ徘徊老人です。
いや、徘徊老人を否定するわけではありませんが、楽しくはなさそうです。家族に迷惑かけるし、怒られるし。
生きていく目標とは、突き詰めれば、なにが幸せかということに尽きます。
ドロドロの人生を望んでいる? 悲劇のヒロインが憧れ?
それは、そういう幸せです。僕には理解できないけれど、そういう人もいるよ。
幸せは絶対的ではなく、主観的なものなのです。
何を幸せと感じ、どんな方向性を目指そうとするのかを、正確に把握しておかなくてはなりません。
生きているだけで丸儲けだと考える人もいるし、欲望の赴くままに生きたいと願う人もいます。
社会の役に立ちたいという崇高な人までいますね。僕はこの分野だな。ウソだけど。
幸せに対する価値観を明確にしておかないと、人生という道に迷います。
人生における徘徊老人。ぷぷっ。いや、徘徊老人を否定しているわけではないけどね。
僕の価値観を改めて考えてみました。
家族と楽しく過ごし、趣味の時間も充実させたい。
こういうのも追随します。
人類の未来に貢献したい。ホントだよ。
これ以外は、補佐的なものであり、派生的なものです。自分の幸せを叶えるための手段でしかありません。
手段が目的を阻害しては関係が逆転してしまいます。今やっていることが望む幸せと相反していないか、定期的に反芻しなければなりません。
家族と楽しく過ごすために給料をもらうのは理に適っているけれど、仕事でストレスを溜めて家族に辛く当たってしまうのはおかしいでしょって話しです。
この場合だと、必要なのはおカネであって、稼ぐ手段はなんだっていいということを把握しておくと選択肢が増えます。
なんだか、最近仕事でイライラしているな。働かなくていいように、不労所得でも狙ってみるか。資産運用をやってみよう。いい不動産が売りに出たら、買ってみるのもいいな。
うんうん、前向きですね。
ストレス解消のためにスポーツジムに行く発想は、明らかに矛盾しています。
おカネを稼ぐために働いていて、その弊害を解決するためにおカネを支払う。
古典落語かよ。あべこべでしょ。
自分の取り組んでいることが、向かう方向へ進めているのかを振り返ってみることも重要ですが、そもそも向かう方向が正しいのかを定期的に確認することはさらに重要です。
まったく違うゴールに向けて突進していては、徘徊老人ではなく、ただのおっちょこちょいです。
未成年のうちは若気の至りで許されますが、大人になってからのおっちょこちょいは、ちょっとキツイです。見ているこちらが照れちゃう。
自分の向かっている方向が、本当に自分の望む未来につながっているのかを考えてみるのもいいかもしれませんね、というお話でした。