資産運用の成績を、人と比べてはいけません。
とても大事なことだと思う。
もう一度書いておこう。
資産運用を、人と比べてはいけない。
株価乱高下によって心の平穏が乱れています。
新型コロナショックが発生してから2ヵ月も経つのに、未だに夜中に目が覚める。
しっかり寝られるように取引中の株価は見ないようにはしています。
それでも、どうしたって気になってしまう。
ほんの少しの物音で、目が覚める。
不安に襲われ、目が覚める。
夜は悲しい気持ちに包まれます。
起きてからも株価を直視すると衝撃が強いので、経済ニュースを確認して社会の動向を探って心の準備を整えてから、株価を確認する。
これ、伝わるかな。
同じことしている人がいたら心強いです。
この悲壮感に意味はありません。
株を売却するつもりはないし、市場が更に下げない限り、買い増しすることもありません。
行動は不要。
だったら、時の流れに身をまかせて、資本主義の成長を見守ればいい。
それなのに、どうしてこんなにも気になってしまうのか。
ああ。
これって恋ですか?
絶対に違う。
不合理な心理を放置しておくと、ろくなことになりません。
自分なりに自分と向かい合い、原因(だと思われること)に思い当たりました。
ああ。
僕、人と比べすぎている。
こういうことです。
投資をしない人と比べて3,200万円もなくなった。
下落途中の買い増しさえがければダメージが軽減された。
底値一括買いした投資家は多額のリターンを稼ぎ出した。
今年分の資金投入を待っていれば最高の資金投入チャンスだった。
投資先がAmazonだったらコロナショックに立ち向かえていた。
他人や想定との比較。
他人といっても、頭の中では人物が浮かんでいます。
苦手な同僚ね。
世渡りだけが上手なアイツよりもおカネが減ったのか。むー。
後悔と逡巡。
なんと意味がないことか。
僕が資産運用に励んでいるのは、経済的な自由を獲得するためです。
同僚よりもおカネ持ちになるためではないし、最高の運用成績を叩き出すためでもない。
重要なのは、経済的な自由に近づいているかです。
想定だけの最高状況を再現する必要もないし、市場平均に負けたっていい。
金融商品の力を借りずして、サラリーマンが経済的に自立することはできません。
定年間近にやっと満足な資産を築けても、それからは目減りする貯金額に怯えながら老後を送ることになる。
前向きに捉えよう。
資産を運用をしている時点で、前に進んでいるのです。
刺すような辛さも、きっと将来の糧になる。
これからも、やるべきことを淡々と継続するだけです。
投資指針を見直すことも重要だけど、それは渦中の今ではない。
自分ではない他人や選択できなかった現実と比べる必要はありません。
グジグジと思い悩んで夜中に目を覚ますのは、僕の望むところじゃない。
なにかと比べ、より上の成績を目指すと無茶が出て、どこかで綻びが生じます。
焦らず、慌てず。
資産資産方針を堅守することが、何よりも大切なことなのです。