「夜と霧」はヒトラーにより発せられた総統命令の1つです。
ナチス選別による行方不明者についての情報を与えないことで、住民に対し服従を強要する意図があありました。
収監者は密かに連行され、まるで夜霧のごとく跡形も無く消え去ったのです。(参考:夜と霧 (法律) - Wikipedia)
邦題同名の「夜と霧」は、強制収容所に収容された心理学者による体験記です。
原題は「それでも生に然りと言う」‟心理学者、強制収容所を体験する”、僕は就職活動中に読んだことがあります。
エントリーシートに記載する「感銘を受けた書物とその感想」の欄に、学術っぽい本を書きたかったのです。
当時の感想は、過酷な状況においても希望を忘れず体験を記録し続けた著者に感銘を受けた、というもの。
我ながら浅いですね。
エントリーシートを提出した企業からは、今後のご活躍をお祈りされました。
それから20年近くが経ち、再読。
本書が紡ぐ「闇」が、心の片隅に残り続けていたのです。
闇を知る者だけが光を知る。
「夜と霧」を再読しました。
本書では収容のショックと環境変化に対する慣れ、そして最終的な解放による精神の弛緩と暴力の揺り戻しまでを、被収容者の目線によって記録しています。
数字で把握される存在への凋落。
極度な睡眠不足。
飢餓による足の膨張、靴が履けずに雪の中を裸足で作業したこと。
同じ被収容者である監視者からも振るわれた暴力。
収容所生活の過酷さや残酷さは、ほかの書物や資料にも記載があるとおりです。
被収容者の精神状態が記録されている点において、本書は特別です。
被収容者の精神反応は、大きく2つに分けられています。
1つ目は感情の消滅。
叱責や蔑み、暴力への抵抗を諦め、番号でしかない扱いを甘受する。
もう1つは保守思想です。
被収容者にも監督係や厨房係といった特権者が存在しました。
自分が貶められている劣等感は認めず、監視兵や親衛隊員にこびへつらって収容所のなかでの出世を願うのです。
これらの堕落した精神反応を克服するには希望が必要です。
生きていることに、もうなんにも期待がもてない。
こんな状態に対しては、応える術がありません。
収容所での生活においてもなお、崇高さに達した人もいたそうです。
傷ついた仲間に気を配り、なけなしのパンを分け与える。
時機を待つのではなく、収容生活でこそ人間の真価を発揮できる人が内面的な勝利をかちえました。
僕が恐ろしさを感じるのは、収容所生活における精神状態が、サラリーマンの症状と酷似しているという点です。
企業文化に染まり、上司からの指示や過去からの踏襲に疑問を抱かなくなる。
社内での地位と自分の価値を同一視し、顧客不在の保身に走る。
感情消滅と保守思考。
怖いほどに一致しています。
そうなると、崇高な精神のためには未来を見据えなければいけない点も同じなのでしょう。
今に見ていろ、と思いながら現実に甘んじているようではいけません。
生きている目的も生きた理由もない。
環境に染まって人間性を喪失し、行き着く先は煙突のみです。
幸運なことに、僕たちサラリーマンは飢餓状態での労働も睡眠不足での生活も強制されていません。
自分で考える余裕があるし、疑問に思ったら立ち止まる余地もあります。
だからこそ、もたらされた安寧の日々に飼い慣らされることなく、自分の人生を生きる意思が必要になる。
悲惨な過去を乗り越えた先人たちに学び、人間としての誇りをもって歩み続けたいと思います。
目の前では妻がヨガに励み、子どもたちが真似をして笑い転げています。
快適なソファで本書を読みながら、そして痛切に感じたのでした。