苦悩を描き抜いた画家の最高峰がムンクです。
北欧ノルウェーに生まれた悩める画家、エドヴァルド・ムンク。
心身ともに病んでいた初期の作品は最高にヤバいです。
ムンク一家は貧困に直面しており、家族は揃って虚弱体質でした。
幼少期に母を亡くし、思春期には姉も亡くしています。
ムンク自身も病気がちの虚弱体質で、兄弟も似たり寄ったり。
さらに精神的な問題も抱えており、父親は神経症クラスで神経質だしムンクも精神病で苦しんでいます。
呪われたかのような血筋。
生に対する恐れがムンクを大きくしました。
ムンク自身が語っています。
不安と病気なしには、私は櫂のない舟のようなものだ。
有名な「叫び」は、ムンクの精神状態が極限の底辺に達した時期に描かれています。
【叫び】
頭髪のない幽霊のような男性が目を見開き、訴えるかのように叫ぶ。
空は禍々しく血のように滲み、斜め延びる川と欄干に空間認識が引き延ばされる。
画面全体に覆われる、重苦しい歪み。
「叫び」は図の人物が叫んでいるのではありません。
叫びを聞くまいとしているのです。
悲しい息遣いを感じて立ち止まり、死ぬほど疲れて欄干に寄りかかり、共に出かけた友人が遠ざかっていくなか胸に広がる傷を負い、自然の中を通り抜けた叫び。
ムンクの散歩中の幻覚です。
理解しない市民を描いた「カール・ヨハン通りの夕べ」も傑作だし、「マドンナ」の表現も惹きつけます。
【カール・ヨハン通りの夕べ】
【マドンナ】
死を直視することで浮かび上がる不安や愛。
ムンクは生命のイメージを交響曲に例え連作しました。
19世紀末、病んでいることが価値とされたようです。
健康であることは悪趣味で、精神異常は繊細で洗練された感性。
ムンクの代表作は、心身の病から回復する40代半ばまでに描かれています。
苦悶は美徳である。
とするならば、賃金労働の意義を見失っている僕たちにも芸術的な素地があるということです。
繰り返される業務を疑い、組織の一員であることに悩む。
無邪気にサラリーマンを継続できる同僚の感覚が信じられない。
同僚の肌が緑色に見え、空の輪郭は失われる。
なんてこった。
僕たちは芸術家だったのか。
悩みに苦しむ今が、チャンスです。
経済的な自由を獲得して賃金労働の輪廻から抜け出すと、煩悩からも解放されてしまう。
それはそれで新しい人生の幕開けを意味するので楽しみですが、今しか持ちえない感覚を失うことは残念です。
精神をすり減らしているサラリーマンだからこそ、悩み抜く。
その先に、サラリーマンにしか見えない世界が広がり、オリジナリティを含んだ表現が生み出されます。
賃金労働に従事する末期的な状況を原動力とし、ヤバい感性を研ぎ澄ませて生きていきましょう。