水墨画の奥行きが好きです。
墨の濃淡だけで遠近感を描き出す。
色彩が制限されるからこそ表現される説得力。
名作ともなると温度まで感じることができます。
僕の気のせいだけどね。
いいのです。
気ままに楽しめばいい。
鑑賞者が自由に想像できることが水墨画の魅力なのです。
水墨画と言えば雪舟です。
倣梁楷黄初平図 京都国立博物館蔵
力量、えげつない。
パワーに充ち溢れすぎていて、むしろ疑ってしまいます。
深く考えずに適当にやっつけているのではないだろうか。
それっ。すらすらすら~。
おっ! いい具合に滲んだぞ。濃淡もいい感じだ。
とかね。
そんなわけありません。
すべての線に生命力を注ぎ込む。
僕は雪舟ではないので分かりませんが、計算し尽しての表現なのでしょう。
スピード感ある技巧が随所に見られます。
破墨と溌墨。
破墨は、淡い墨が乾く前に濃い墨を重ねる手法です。
墨が薄いほうへと滲み出していって、表現に生命力がもたらされます。
溌墨は筆に墨をたっぷりと含ませて、注ぎ込むように書く技法です。
一気に書けば鋭さが表現され、ゆっくりと筆を繰れば豊かに滲む。
試してみたことがありますが、僕がやっても汚くなるだけです。
雪舟が駆使すると、こんな感じに仕上がります。
破墨山水図(部分) 東京国立博物館所蔵
丘が切り立ち、草木に生命力が宿る。
遠くにそびえる岩山によって、世界が空想のように広がります。
遠慮のない直線で描かれた家屋の生活感。
おぼろげな曲線による川岸。
なんと美しい。
たった一本の線で水面を行く小舟を表現していたりして、おおおぉと唸らされるのです。
雪舟は遣明使に選ばれるなどして着実に地位を築き上げましたが、順当に大成したわけではありません。
1420年に岡山で生まれた雪舟は、禅宗寺院で過ごした後、京都の寺院組織での成功を目指します。
30代半ばまで過ごした京都では、挫折が待ち受けていました。
当地で求められた柔らかく繊細な表現が、雪舟の無骨な筆使いに合わなかったのです。
寺僧600人のトップには届きそうもなく、大名の大内氏の誘いを受けて決断、山口へと移っています。
画家としての名声を確立した晩年も京都への意識が薄れることはなく、京都の禅僧に賛文を書いてもらうため絵画を弟子に与えて寄越すなどして、画法の正当性をアピールしました。
若いころの挫折を気にして、京都で認められることにこだわり続けていたのです。
こういう態度ね。
素晴らしいですよね。
企業のサラリーマン生活にはフィットしなくて都落ちするんだけど、いつまでも執着して最後には見返させちゃう感じ。
挫折を知っているからこそ、自分に適した機会を逃すことなく、社会で躍動していく。
年老いてからも制作意欲が落ちることはなく、代表作の大半を隠居所に移ってから描き出しています。
これだな。
僕はサラリーマンに不適であるという過酷な現実に直面しています。
組織内で無邪気に活躍できる同僚に尊敬の念を抱きつつも、会社に埋没するという人生を受け入れることができません。
この悔しさを忘れずに生きていこう。
僕には僕の場所がある。
それがサラリーマンではなかったということだったんだ。
自分に適した場所で飛躍する。
誰かに見返される必要はないけれど、僕にしか描けない一本の墨線を生み出したいと思います。