極彩色に延々と繰り返されるパターン。
強烈に訴えかけてくるんだけど、その中身は分からない。
自己消滅。
《フラワー・オブセッション》(草間彌生美術館ホームページより)
草間彌生が生み出す芸術です。
原色に水玉の浮いたドレスを身に纏い、目をカッと見開いて紙面を飾る。
レッドやピンクのオカッパ頭でいよいよヤバさ全開ですが、あれはウィッグです。
よかった。
なぜだか安心したよ。
自ら前衛芸術家を名乗り、存在自体が例外的。
大学では日本画を学び、渡米して発表の場を求めました。
「水玉」や「網」、柔らか素材の「ファルス(男根)」で評価を確立した草間彌生が60年代後半に選んだ表現が「ハプニング」。
屋外でのヌードデモや公共の場での男女の絡みです。
男女の絡みって、ねえ。
芸術は難しいです。
アイコニックな水玉模様は幼少期の草間彌生が見ていた景色です。
物体が溶解して水玉状になり部屋中、身体中、世界中を埋め尽くす幻覚に悩まされました。
覆いかぶさってくる水玉を見据えて描写する。
表現することで脅迫性障害に立ち向かったのです。
自らもいくつもの水玉となり消滅させました。
「永遠の時の無限と、空間の絶対の中に自分も、あらゆる物質も回帰し、還元してしまう」のだそうです。
難解だね。
ポップな水玉に、そんな深い意味を込めていたのか。
《天空の果てに住みて》(草間彌生美術館ホームページより)
草間彌生は騙されません。
見たものを信じ、固定概念に捉われない。
自分の感覚を真っすぐに表現し、世界の測り方を純粋に再定義する。
これですよ。
素晴らしい。
幼少期の草間彌生が描写によって幻覚に立ち向かおうとするとき、母親は絵を描くことを許しませんでした。
絵画道具は与えられず、せっかく書いた絵は破り捨てられたり。
父親は放蕩を繰り返すばかりだったそうです。
それでも、表現し続ける。
自分に見える景色を。
自己消滅。
それだ。
社会では、疑うことの重要性を説かれます。
通説を疑い定義を疑う。
それも革新への一歩であることは間違いないけれど、疑う前に信じてみること。
自分の感性を、もはや自分という概念すらなくなるほどに、捉える。
圧倒的な創造はすでに僕たちに内包されています。