河野行政改革相がハンコ使用の慣例廃止を推し進めています。
いいですね。
外務大臣のときも、防衛大臣のときも、実行力の強さを発揮していた印象があります。
これからも先陣を切って、古くなった慣習を猛然と改めて欲しい。
ハンコの使用には、2つの理由があると言われていました。
本人認証と書類完成。
書類を作成したり確認したのが本人であることを保証し、その書類が完成したことをしめすためです。
はあ。
なんとくだらない。
文房具屋で購入できるハンコよりも、署名のほうが確実だよね。
みんなそう思っているので、ハンコ廃止は当然の流れでしょう。
ただしハンコの廃止が本質を捉えているのかというと、疑問でもあります。
効率的な業務遂行が目的なのだろうけど、押印文化が元凶ではない気がする。
ハンコがなければテレワークが捗ると言うけれど、今の世の中、デジタルハンコだってあります。
ハイテクとローテクのハイブリッドね。
最新技術の無駄遣い。
察するに、問題は決裁者の権限が曖昧なことです。
大量の確認印を受けて、最終決裁者のハンコをもらう。
営業先の半導体チップメーカーでは、決裁者が8人もいるそうです。
発注書が送られてこないので催促したら、6人目の決裁者で止まっていると回答がありました。
おいおい。
その前の5人は何のために存在したんだ。
その後の2人も。
決裁の責任を希釈しようとするから、歪んだことになるのです。
訳が分からない。
その会社では次の決裁者におもねって、左側に少し傾いでハンコを打つらしい。
頭を下げているように見えることが理由です。
次の人も同じように頭を下げてハンコを打つから、お辞儀の行列。
まったく訳が分かりません。
おかしいことにはおかしいと指摘することが大切です。
8人も確認のハンコを打つ必要があるのか。
ハンコにまでお辞儀をさせてなくてはならないのか。
河野太郎氏に言われなくても、自分たちで改めなくてはなりません。
慣例に固執する人もいるでしょう。
改革を厭う人もいることでしょう。
その人たちの声が通ってしまうようでは、その会社は死んでいます。
リビングデッド。
行政の改革を期待する前に僕たちがやるべきこと。
それは、ゾンビのような会社から飛び出すことです。
腐っていく会社を見限り、可能性へと羽ばたいていく。
古くからの慣習を捨て去る僕たちの行動が、これからの日本を改革していくのです。