初老の男性が最寄り駅で転がっていました。
電車を降りるとすっかり夜。
日が落ちるのが早くなったものです。
恋しい我が家。
我慢をしていたので、まずは手洗所へと向かいます。
すると、入口に男性が座り込んでいるではありませんか。
上半身を壁に持たれかけ、柔和な顔には曖昧な微笑み。
投げ出した下半身はすらりと長く、ズボンは上品なウールです。
悠々自適の余裕ある佇まい。
公園だったら日向ぼっこといった風情です。
でも哀しい哉、ここはトイレだよ。
顔色は悪くないし、お酒の色も見られません。
目が合ってしまったので逃亡することも出来ず、声を掛けてみました。
大丈夫ですか?
ええ、大丈夫です。お気遣いなく。
優雅な返答が戻ってきました。
仕方がありません。
意を決して男性を跨ぎ、トイレに入ったのでした。
用を終えても男性は寝ころんだままです。
すれ違いで入ってきたスーツ姿のサラリーマンは露骨に顔をしかめています。
彼の手にはヨレヨレの使い捨てマスク。
何度も洗って使いまわしているのでしょう。
ああ。
上品な老人が蔑まれている。
再度声をかけ、手伝えることがないかを聞き出しました。
それでは、立たせていただけますか?
穏やかな口調で頼まれました。
成人を起き上がらせるために手抜きは禁物です。
しっかり身体を密着させ、抱きかかえる必要があります。
それは嫌だなぁ。
倒れていた理由も分からないのに。
言い出してしまったので、せめて横側に回り込み、肩を回して引きずり起こします。
悪い酒でも飲んだのでしょう。
男性がよちよちと歩き出したことを確認し、改札を後にしたのでした。
真っ暗な帰路を進みながら考えました。
・・・あの人。
とんでもない資産家で、お礼を申し入れくれたりしてね。
・・・。
僕は自分のこういうところが嫌です。
見返りを求めてしまう。
ええい!ぶんぶんぶん!!(雑念を振り払う音)
困っている老人を助けたってことでいいじゃないか。
子どもたちに誇れる素敵なことをした。
親切とお礼を結び付けてはいけない。
僕が経済的な自由を求める理由。
それは、しょうもない打算から逃れるためです。
無償の愛で世界を照らしたい。
子どもたちには、しっかりと伝えてあげようと思います。
トイレで倒れている人がいたら、その場を離れなさい。
そんなやつ、危険すぎます。