決断するときに、僕だったら何と言うだろうかを考えるようにしています。
主格を放棄して客観視してみる。
自分のことを、友人だと思ってみるのです。
想定は、家族や同僚ではいけません。
家族へのアドバイスは主観や情が含まれてしまいます。
一緒に生活しているからね。
面倒そうなアドバイスは送れない。
同僚だと損得勘定が生まれてしまいます。
こいつが上手くいったときに、僕が還元されるアドバイスはなにかな?みたいな。
まったく当てになりません。
ちょうどいいのは、友人にするぐらいの温度感です。
適切な距離感で、思った通りことを伝えられることでしょう。
そうでもない?
心の内を明かすなんて、とんでもない?
それもまた、人生です。
客観視を続けていると疲れてしまうし、人格が崩壊しそうだから、自分アドバイスを使用する対象はなるべく重要な選択だけです。
金融商品の選択や株式の売買タイミング、それからサラリーマンをどうするか。
自分が自分(想定友人)に送るアドバイスは、ことごとく的を得ます。
資産運用も上手くいっているし、アルコールコントロールも上手くいきはじめた。
最近では、子どもたちへの感情表現も上手になってきています。
サラリーマン?
そんなもん、アドバイスは数年前からブレていません。
人生の選択を考える。
自分の友人である自分にアドバイスを求めるのも一考です。