僕は、周囲と合わなくなることがあります。
みんな楽しそうに話しているのに、あれ? めっちゃ居心地が悪いな。。。となる。
憤まんモードが蔓延しているけれど、怒るまでのことはないだろうに。。。となる。
日常会話はこなしているんだけれど、相手への興味は古いレシートの印刷よりも薄かったり。
何か僕に生物学的な変異が起きているのではないかと、新型人類について調べてみました。
「ネオサピエンス 回避型人類の登場」です。
本書では、人類は細かな進歩を続けているとされています。
短期間で人類の脳が大きくなったり、生存圧力のかかる民族の知能が飛躍したり。
今進行中なのが、欲望のコントロールです。
人への愛情をもつことを嫌がる回避型の人間が増えているらしい。
養育環境や情報環境も要因だとされていますが、ほかの生物種でも見られる生存密度の調節という遺伝子レベルでの変化が起きている可能性があるらしいです。
人口爆発や食糧危機、さらには温暖化や砂漠化が拍車をかけている。
資源の奪い合いが激化する状況では、貪欲さを持たない回避型人間は種の存続に有利なのです。
情報技術の革新も、回避型人間に追い風です。
巨大化し複雑化するネットワークに順応するためには、個々の成員同士のつながりを密に求める旧型の共感型人類よりも、自己といった概念すら希薄化させているほうが都合がいいのです。
冷たい無機質な社会において、むしろ機械のようでありたいと願う。
何も考えず、何に苦しむことはありません。
読んでいて思い知らされましたが、僕は回避型人間ではありません。
嬉しいことなのか悲しいことなのかは分からないけれど、典型的な共感型人間です。
めっちゃ家族好き。
妻と結婚出来て最高に幸せだし、子どもたちのお父さんになれたことを毎日感謝しています。
子どものためになら、自分のことは後回しにだってできる。
妻には自分のことばっかり優先してると怒られるけれど、それは愛情の問題ではなく、価値観の違いなのです。
本書によると、人間が喜びを感じる仕組みには3つあるらしいです。
1つ目は本能的な欲求を満たしたとき。
2つ目は達成したり習得したりしたときのドーパミン。
最後が愛する人に触れたり世話をするときに感じるオキトシンです。
回避型の人間は3つ目を放棄しており、その分ドーパミンに生存理由を見出し、勉強や仕事、ゲームなどに熱中しやすくなるとされています。
これからも回避型人間の増加は止まりません。
現代社会では回避型人類も子どもを持つことが出来る社会制度が整っています。
回避型人類は愛情をもった子育てができず、育てられた子も同様に愛情を取扱うことのできない回避型人間になりやすくなるのです。
僕のような旧来の共感型人類は、回避型人類との遭遇に戸惑う場面も多くなることでしょう。
仕事に没入できる回避型人類には太刀打ちできなくなるかもしれない。
すでになっている気もする。
遺伝子の流れを止めることはできません。
僕は乗り遅れただけなのかも知れませんが、旧型人類に育つことができました。
これからも愛情を持ったり持たれたりすることへの喜びを楽しもうと思います。
生物学のサピエンス書籍と言えば、サピエンス全史。
億万長者物語では読み解き記事も書き残してきました。
サピエンス全史によれば、進歩は社会に蓄積し、人類は進歩していないそうです。
喜びを感じるのは、原始的な電気信号に過ぎない。
僕はこの考え方が好きなので、これからも幸せ信号をたくさん流して生きていこうと思います。