「仕事」と聞くと、胸がキューっとなります。
なんなんでしょうね。
すでに会社を退職して3ヵ月が経過しました。
ストレスからはかなり解放されているはずなのに、今でもキューっとなります。
後遺症なのでしょう。
気が遠くなるほどの年月を、仕事に捧げてきました。
最後の1,000日ほどは、会社を辞めることを目標に生きてきたのです。
強い意思を持って邁進した。
前向きなのか後ろ向きなのか、さっぱり分かりません。
来る日も来る日も、目まいがするほどに退屈でした。
変わらない景色、変わらない業務。
勤務先は大企業だっただけに、僕がいなくても組織が動き続けることは分かっていました。
そんなことを考えながら、労働に勤しんでいた。
組織の輪廻。
離脱もしたくなるってもんです。
そういうことを考えずに働き続けられる人もいて、僕は本気で尊敬しています。
サラリーマンの才能がある。
ある意味、この世を生きていくうえで、最も必要な能力です。
仕事って、そんなに辛いものなのだろうか。
日本には労働が神事であるという考えがあります。
労働によって神に奉仕するという思想です。
稲を刈ることで神様に仕えていたのです。
キリスト教やユダヤ教では労働は懲罰です。
アダムとイブが知恵の林檎を食べてしまったために、労苦に耐えて額に汗を流さなければならなくなったと考えるそうです。
僕、キリスト教徒だったのか!
原罪を悲しみ仕事が辛くなっていたの!?
多分、違います。
トラウマです。
僕の存在が薄くなっていった、あの日々。
今の世の中、仕事ってそんなに辛いものではないと思います。
強制的に奉仕させられるわけでもないし、経済的に困窮しているわけでもないし。
頑張って働いて、誰からの役に立ち、対価としての報酬を得ることができる。
最高やん。
承認欲求ってやつが満たされます。
それからは自分の能力を確立させ、目指す自己像を完成させことだってできます。
自己実現。
欲求ピラミッドの最高位にまで辿り着けるのです。
本来、仕事って辛いことばかりではないのだと思います。
生きている実感と言うか、喜びというか。
そういうのを獲得する手段の1つなのだと思う。
「仕事」という言葉にキューっとしないこと。
まずはその状態を手に入れよう。
リハビリを続けます。