反省を強要すると、悪いことを悪いこととして認識しなくなります。
見せかけの反省ばかりが上手くなり、罪を犯したことの意識も、罰を与えられたことへの理解も進まないからです。
悪いことをしてしまった子には、まずは自分の過ちを認識させる。
それから、負の根源を把握するために内省させることが不可欠です。
自分の精神的な痛みや弱さを受け入れることで周囲へ助けを求めて心を開いていきます。
以前読んだ、「反省させると犯罪者になります」で学んだことです。
僕の子育てに大きな影響を受けました。
子どもに接するときには納得を重視するようになった。
感想文はこちらです。
反省させる以前の子どもたちがいるそうです。
指摘するのは「反省させると犯罪者になります」の故岡本教授の後を継ぎ、立命館大学で教鞭を取る宮口幸治氏。
著作も同じく新潮新書から出版されています。
知識って繋がっていくんだなあ。
「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだので、分かったことを書き残しておきます。
少年院には知的障害をもった子どもたちが多いそうです。
タイトルにもなっているとおり、ケーキのような円いものを3等分にすることができない。
まず2等分してから、片方をさらに2等分にしたりするそうです。
それじゃあ、ただの3分割。
奪い合いのケンカにもなるわけです。
ほかにも図形の模写ができなかったり、段取りができなかったり。
つまり、学習の基礎となる認知能力が障害レベルで低いのです。
日本の社会は発達障害に対しての支援は手厚いけれど、知的障害への対応には手が回っていないそうです。
褒めて伸ばす教育や自己肯定感を高める接し方では限界がある。
必要なことは支援です。
知覚や言語理解、注意力など学習の土台となる能力を高める必要があるのです。
知的障害を持った子を認知能力の底上げなしに集団生活に参加させると、劣等感を感じたり、イジメを受けたりします。
そのストレスを、自分より弱い立場の人間を襲って発散させる。
そうやって被害者を生み出すのだそうです。
犯罪を犯しても認知力が弱いので、自分が何をしたのか、どんな影響を及ぼすのかが理解できません。
反省以前の問題なのです。
僕は幸いにして認知能力に重大な問題はありません。
ないよね?
不安になってきました。
我が家の子どもたちも大丈夫です。
大丈夫だよね?
頼むよ。
本書では、認知力が弱い子が犯罪を及ぼすと断じているのではありません。
認知力が弱い子どもが、適切な支援を受けずに放置されると、犯罪予備軍になってしまう。
我が子の認知力を、適切に判断しましょう。
ちょっと危なっかしい子どもを見かけたら、注意して見ておいてあげる。
必要に応じて、自分の子どもたちには適切な距離を取らせることも必要でしょう。
犯罪に巻き込まれるといった直接的な被害だけは避けなくてはなりません。
よその子に余計なお節介はできないので、ちょっとした気配りを持っておこうと思います。