僕がサラリーマンを辞める決心をした理由の1つは、委縮してしまうことです。
サラリーマンは組織で働きます。
それこそが魅力なのです。
チーム力を発揮できるし、歴史による積み重ねは信用を生みます。
自分1人では成し遂げられないような大きな成果を得ることが可能になる。
責任は全体に課されるので、ちょっとした失敗が職を失うことには直結しません。
それまでの利益が蓄積されているから、業績の悪化に関わらず毎月の基本給を振り込んでもらえます。
いいことばかりです。
でも、組織として働く以上、自分のポジションというものが存在します。
上司がいるし、部下がいる。
課長の上位職に部長があるし、部長になっても本部長がいます。
取締役になっても社長がいるし、社長になっても会長がいます。
その上に創業者がいたり、上場会社だと株主もいるのです。
大切な関係先を取引停止にもできないし。
常にレポートラインが意識されます。
その結果、どうなるか。
組織形態に合わせた規格に、自分を押し込めてしまうのです。
役職が能力を引き出すというけれど、あべこべです。
制限していた力が解放されているに過ぎません。
少なくとも、僕の場合はそうでした。
サラリーマンを続けるほどに、自分の力が衰えていくのです。
天真爛漫な発想は身を潜め、猪突猛進な行動が消えていく。
残った僕は、カスタマイズされて波風を立たせない人間。
組織にピタッとはまるサイズ。
指示されたわけではありません。
自分で勝手に委縮してそうなってしまいました。
そうでない人もいるのだと思います。
組織のなかでも輝きを失わず、むしろ光を強めていく。
いるかも知れないけれど、僕はそうではありませんでした。
多くの人が、そうではないと思う。
そんな人、見たことがないから。
サラリーマンをやっていると誰しもが役割を演じなくてはなりません。
社会のなかで生きていくには必須の能力です。
でも、会社組織で働くことは、その圧力が強すぎると感じました。
このまま働き続けると、なんの変哲もない交換可能な人間になってしまう。
埋没してしまえば楽なのかもしれないけれど、遅かれ早かれ気付きます。
年を取って役職がなくなった後に自分の存在を見失うことは必至なのです。
自我が残されている今、気付けてよかったと思います。
もちろん辛いときもあります。
組織に紐づかない、不安定な自分。
会社を退職し、いったい何を出来るのかと考える日々が続いています。
それでも、希望をもって臨むことが出来ている。
次は、どんなことをしようか。
組織や役職に頼らない存在になれるように頑張ろうと思ったのでした。