伊藤若冲は京都の中心部、錦市場の流通問屋の長男です。
生家「桝屋」は多くの商人を管轄しており、商人同士の調整さえしていれば十分な利益を上げることが出来ました。
若冲は40歳のときに家業を弟に譲ります。
隠棲の生活を送り絵画に専念するようになるのです。
現代風に言うならば早期リタイヤ。
大店の主人を17年も勤め上げているので金銭的な余裕もあったことでしょう。
つまりFIRE。
「Financial Independence, Retire Early」
完璧です。
若冲の絵は、丁寧な写生と徹底的な描写が特徴です。
京都国立博物館や相国寺に多くの所蔵品が残っています。
興味のある人は見に行ってみてください。
圧倒的な緻密さに恍惚となることは必至です。
有名な「動植綵絵」は宮内庁三の丸尚蔵館に保管されていますが、残念ながら常設展示ではありません。
僕は動植綵絵のために設えられた相国寺方丈で「釈迦三尊像」と合わせ全33幅が欠けることなく並べられた展示を拝見したことがあります。
釈迦を中心に幾種もの動植物が取り囲む光景はマントラに通じるものがありました。
大げさに言えば宇宙そのものでした。
若冲は狩野派に通じ、日本画の範疇を超えるために宋・元の絵画を学びました。
千点以上の模写に取り組み、やはり人の後ろからついていく行為に過ぎないことを悟ります。
それからは自分で観察し写生するようになりました。
鶏10羽を庭に飼い、対象は草木、鳥獣、虫魚へとおよび、それらの形貌と真髄を極めるのです。
当時は写生表現は異端の時代だったのにも関わらず。
若冲がFIREの先駆けであることは、現在を生きる僕たちを勇気づけます。
若冲は「動植綵絵」を作成しながら価値が分かる人を1,000年待つと言ったそうです。
自分の価値観が永遠の時間を生きるという強烈な自信の表れ。
300年前に生きた若冲は40歳にして自分の人生を切り拓きました。
当時でも、若冲は成し遂げた。
今では尚更です。
健康寿命が延びた今、僕たちにはまだまだ時間がある。
社会に埋没してしまうことを諦める理由はどこにもありません。
当時も今も。
FIREは可能性を押し広げます。
先駆者に続き、自分の時間を生きようと思います。