長男が昨日見た夢の話をしてくれました。
嬉しそうに。
羨ましいです。
僕はサラリーマン時代を彷彿とさせる夢を頻繁に見るので、うなされて目を覚ましています。
いつまで後遺症に悩まされるのだろう。
気が重いです。
長男の夢は、こうです。
玄関からリビングルームまで灰色の絨毯が敷かれていてブルーシートで壁にしている。
絨毯は1m幅で、そこを自転車で進みます。
フラフラしてブルーシートに触れるとダメなルール。
触れると失格です。
奇声をあげた僕に壁を崩されます。
誇らしい気持ちです。
会社を辞めて時間だけはたっぷりある。
自転車ゲームに付き合って罰ゲームで奇声をあげるって、暇じゃないとできません。
夢のなかでも僕は時間がある父親でした。
生きていくには目的が必要です。
ただ生きていくって、ゴールのないマラソンを走るようなもの。
苦行でしかありません。
生きるために生きるということがシンプルでいいのだけれど、現代文明はその段階を突破しました。
いい暮らしをするとか、お金を稼ぐとか。
要求は次の段階へと進んでいきます。
そこを超えると地位がほしくなったり名声が欲しくなったりするのです。
僕は、そこへ進もうとは思いませんでした。
終わりが見えなくなる。
降りられないラットレースです。
僕は社会に影響を与えたいと思っています。
会社を辞めすぐに起業する計画だったのですが、一向に進まず。
よくない状況です。
でも、それはそれで子どもたちと過ごす時間が増えました。
子どもが父親との時間を面白がってくれるのも今だけでしょう。
中学生になったら煙たがられる。
お風呂には入ってくれないし、洗濯物も別々にされちゃうかも。
想像するだけで悲しくなります。
今しかない時間を大切に。
今の僕の価値は、子どもたちの父親でいてあげること。
罰ゲームの奇声が必要ならば、夢の中でも付き合ってあげようと思ったのでした。