僕たちはお金を使わずに生きていくことはできません。
お腹が減ったらレストランで注文したり、スーパーで材料を買って調理をしたり。
調理をするためには水道費を払わなくてはならないし、ガスの契約も必要です。
外出するためには服も着なくてはなりません。
生まれたままの格好で外を出歩いていたら捕まります。
臭いご飯を食べさせてもらえて衣食住を確保できるかも知らないけれど、刑務所だって僕たちが支払った税金で成り立っているのです。
息を吸うにもお金が必要です。
おいしい空気を吸おうと思ったら郊外にまで出かけなくてはならないから交通費が必要になります。
自家用車で出かける?
車の維持費に加えてガソリン代や保険代まで必要です。
何をするにもお金が必要。
そのために僕たちは自分の時間を犠牲にして賃金に交換しています。
生きるためにお金が必要ななのか、お金のために生きているのか。
ううぅってなりますね。
僕はお金に捉われている状況に危機感を覚え、経済的な自由を得ようと考えました。
充分な資金があればお金に煩わされることはない。
自分の人生を自分の思うとおりに生きるのです。
僕とは正反対のアプローチで金銭的な束縛から解放されようとする人がいます。
お金を持たずに生きていく。
「ぼくはお金を使わずに生きることにした」を読んだので思ったことを書き残しておきます。
労働の苦しさから逃れようと節約に精を出す人がいます。
資産の保有を放棄すれば保護を受けて生きていくこともできます。
本書で描かれる生活は、それらの発想とは一線を画します。
貨幣における価値の交換を一切行わずに生きていく試みです。
筆者は1年間、完全に貨幣経済から切り離されて生活しました。
必要なものはすべてコミュニティ内のやり取りによって用立てます。
牧場の仕事を手伝って敷地や電気を使わせてもらう。
廃棄される食材をもらってきたり、草花を採取したり。
筆者がお金の敬遠するのは、それこそが地球環境に悪影響を与えていると考えているからです。
お金には貯蓄という機能が備わっています。
貯めることができるからこそ消費できない分まで生産し、国境をも超えて販売網を構築する。
旺盛な生産活動は埋蔵資源を枯渇させ、過剰な流通は二酸化炭素をまき散らし生態系を破壊します。
貨幣からの解脱は経済活動への抗議を含むのです。
僕は資産を貯めることで経済からの解放を志しています。
それなりの資産を構築することで不必要な経済活動からは距離を置くことにも成功しました。
少なくとも、日々の組織労働に捉われずに生きています。
捻出できた時間で、なにか社会のためになることをしたい。
環境保全活動もその1つです。
ただし、せっかく貯めた資産を放棄することはできません。
子どもを強烈な価値観で縛るわけにはいきません。
お金は必要ですが、それを求め続けることに無茶があるのだと思います。
あるの資産を構築することで回り続ける歯車から降りることはできる。
僕の場合はお金を放棄することではなく、貯めることでのメッセージを打ち出してみようと思いました。